''你所不知道的半澤直樹,作家堺雅人''
2013年半澤直樹風靡亞洲,主角堺雅人也成了家喻戶曉的藝能界寵兒,無論是半澤直樹的穩重堅持,還是古美門律師的跳脫率性,他的詮釋都讓人過目難忘。然而,堺雅人除了表演之外,也熱愛寫作,其作品文・堺雅人一書,充分體現了其文字功底不可小覷。你可知道,他曾在這喧囂冗雜的世界裡,他靜靜蟄居了十四年。1998年,他在高中加入了話劇社,開始第一次踏上舞台。大學時代,參加了劇作研討會,帶著出離塵世的覺悟,中輟學業,開始了漫長修行。他愛寫作的理由之一是,在揣摩劇本,陷入角色心緒,移情入景時,產生了關於人性,人生的疑問,而這些疑問與自省式的思索,成為他提筆揮毫的巨大誘惑。與一般演藝界噱頭炒作不同,堺雅人行文態度認真,引經據典,讓人稱奇。從他所引用的若山牧水、世阿弥、中原中也與志賀直哉的名句,也可看出他平時涉獵之廣,思索之深。
以下摘取兩段與大家分享。
(われわれの仕事は「わかる」と「わからない」のあいだをいつもユラユラゆれうごく。正直にいえばどんな作品にだって、わかる台詞とわからない台詞があるのだ。こわいのは、「わかる部分だけをみて全部わかったつもりになること」あるいは、「わからない部分だけをみて全部あきらめてしまうこと」なのだろう。 )
我們做演員的,一直在“懂”與“不懂”之間徘徊。老實說,不論任何作品,都有懂與不懂的台詞。可怕的是,只讀能夠懂的那一部分,以此當作全懂。或者是,只著眼不懂的地方而放棄了全部。
「そこにいて、なにもしない」は、「なにかする」とおなじくらい大切なことだ。「そこにいる」ということが、ただそれだけで感動的なことだってある。
“身在彼處,無所事事”與“有所作為”是同等重要的事情。因為僅僅“身在彼處”,就有讓人感動的地方。
『文・堺雅人』文春文庫